掃き溜めに鶴


META+MANIERA ディレクターの古津です。

社会人として生活していくうえで、“議論”は避けては通れないコミュニケーションだと

常々思います。(最近ちょっと機会が多すぎですが…)

それを避けることは相互理解や成長、現状の改善・発展を拒否するのと同義で、

個人はもとより企業にとっては非常にマズい事象です。


我々のような社会に対して「プラスαの価値観を提供する」ことを大義に掲げ、

デザイン・クリエイティブを生業とする者にとっては特にです。

そういった職業柄、“議論の上手さ”はディレクターという立場になると

より顕著に求められるようになります。


そして僕の場合は、議論には常に前向きな気持ちを持って望み、鬱陶しいほどに

それを全面に押し出します。

当然他の参加者にも強く、そりゃもう強く望みます。



白熱する議論の緩衝材として、資料には少々のユーモアと自分を
理解してもらえる“お気に入り”をふんだんに取り入れます


何故か?

それは先に述べた、他者との相互理解&成長、現状の改善・発展…etc.ありますが、

一番の理由は、たとえ相入れない主義主張を展開する相手でも

そこに“前向きな気持ち”が見て取れれば好感の対象となるからです。


その好感さえあれば水と油、犬と猿でさえも何か新たなイノベーションを生む原動力となります。

(喧嘩別れも多いですが…。)


逆に言えば議論に参加してもそこに“前向きな気持ち”がなく、“後ろ向きな気持ち”を持って

参加する人々とは新たな何かが生まれることは決してありません。

そんな発展性のない、掃き溜めのような議論の場で彼らの多くが声高に唱えるのは

“安定と現状維持”。


たとえば、

「150年続く老舗旅館 その変わらぬ佇まいとサービスが お宿の魅力」

というのであればそれは後ろ向きではなく、素敵な保守ということになるので

問題はないのです。それが最も大切な使命なのだから。

我々の業界に置きかえると伝統工芸士や職人などの人々がそれにあたります。

(素敵な保守。何も異論はない。むしろちょっと羨ましい。)


だが常に新しい、時代に即した「プラスαの価値観」を探求する僕らには

“安定と現状維持”なんてものはまったく必要がない。


掃き溜めに鶴。前向きな気持ちを忘れずに。

manimani Media

変わるデザイン。変わらないデザイン グラフィック/エディトリアル/企画・編集/Web/動画...各種メディアにトータルクリエイティブを展開するデザイン会社の日常。

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