自転車で近所の富士塚や謎のスポットを巡った話

Webデザイナー/ディレクターのヤスハラタカユキです。

リモートワークになって早2年、全く家から出ない日も少なくない中、煮詰まった気分を吹き飛ばそう!

ということで私が住んでいる横浜市都筑区の富士塚を愛車のカラテモンキーで巡ってきました。

ついでに有名な某倉庫とちょっと不思議な駅にも行ってきました。


目次

  • 富士塚って何?
  • 池辺(いこのべ)富士
  • 川和富士
  • 山田(やまた)富士
  • 赤レンガ倉庫の思い出
  • 横浜とは思えない駅、国道駅


富士塚って何?

富士塚というのは、富士講という富士山を神様と見立てた山岳信仰に基づいて作られた富士山を模した小さな塚のことです。

関東だと結構いろんなところにあり、弊社の所在地である千駄ヶ谷にも鳩森神社の境内に小さな塚があります。

こちらの記事に写真がありますのでチェックしてみてね!

私が住んでいる横浜市都筑区には都筑の三富士と呼ばれる富士塚があるのでご紹介します。


池辺(いこのべ)富士

まずは池辺(いこのべ)富士から。

神奈川県横浜市都筑区池辺町にあるこの富士塚は、1796年(寛政8年)に築造されたとのこと。

標高は63mで、周囲は生産緑地となっており高い建物はなく、畑に囲まれた一角の小高い丘のような感じです。

写真右上の木々が盛り上がってる丘がそれ。

登ろうとしてもどこが入り口か全くわからず、地元のおっちゃんに入り口どこですかね~?と聞いて、ようやく塚の東側のこんなの絶対分からんわ!っていう隙間から登山開始。

そしてあっという間に登頂(笑)

山頂には祠と御供物があったので一礼しました。

今でも地元の人の崇拝を集めているようです。

周りに高い建物がないので眺めは結構いい。

富士山は残念ながら見えませんでした。

公園として整備されている訳ではなく本当にただの丘という感じですが、それが逆に昔の雰囲気を醸し出していて、なかなかいい富士塚でした。

川和富士

次は川和富士です。

こちらは江戸時代末期の1860年(万延元年)に富士講によってに築かれた富士塚です。

周囲は公園として整備されていて今っぽいですが、山体そのものも過去の発掘調査などで崩されてしまい、現存するのは再築造、再現されたもののようです。

標高は74mで裾野は広く、都筑の三富士の中では一番大きく立派です。

なかなか大きいし、登ると息が切れます(笑)

登山道はこんな感じで整備されていて、安全に登れます。

子どもでも安心。

山頂もしっかりと整備してあって、まぁ正直あんまり面白くはないです。

ただ眺めはとてもいい。

丹沢が一望できます。

雲がなければ富士山がその奥に見えたはずなんだけどなぁ。

山田(やまた)富士

最後は山田(山田)富士です。

山田富士は1828年(文政11年)の古典『新編武蔵風土記稿』にも掲載されている、三富士の中では最も古い富士塚です。

標高は45mで、こちらも公園として整備されていますが、里山と組み合わせたような公園なのでかなり自然感が強めです。

里山の頂上にさらに土を盛って築造してあり、下からの高さは一番高く感じます。

階段を必死こいて自転車担いで登ったんだけど、自転車で走れるところはちょっとしかなかった(笑)

登山道はこんな感じ。

ぐるっと回りながら登りますが、全く舗装されていないのでお年寄りにはなかなか辛いかも。

足首をグネる。

山頂には火口を模した石畳が敷いてあり、すり鉢の真ん中に四角い石が鎮座しています。

周りが森なので見晴らしはちょっとイマイチだけど、晴れた空気の澄んだ日には富士山がしっかり見えます(この日は見えてない)。

紹介した三富士は自転車で回っても1~2時間あれば全部回れちゃうほどの位置関係です。

ただし横浜の山側はひたすらに坂・坂・坂なので太ももがパンパンになること間違いなしです。

さ、次はちょっとだけ足を伸ばします。


赤レンガ倉庫の思い出

三富士とは全く関係ありませんが、ついでになんとなく赤レンガ倉庫まで足を伸ばしたので思い出を語ってみます。

いまはすっかり観光地化した赤レンガ倉庫ですが、私が小学生の頃はほぼ廃墟という感じで、貨物列車の貨物車がボロボロになって廃棄?されていて、格好の遊び場でした。

桜木町から汽車道という遊歩道が伸びていますが、当時は遊歩道ではなくガチの線路でその上をスタンドバイミーよろしく歩いて赤レンガ倉庫まで行き、釣りをしたり貨物列車の中の忍び込んだりしたものです。

みなとみらい地区もただの埋立地のようで、列車のターンテーブル(転車台、きかんしゃトーマスに出てくるようなやつ)があったり、あぶない刑事のロケしてたりと、今では考えられないような雰囲気でした。

本当にキレイになったもんだ。

当時は「夜露死苦」的な落書きで溢れていたのに(笑)


横浜とは思えない駅、国道駅

赤レンガついでに鶴見区のとある駅に足を伸ばしました。

その駅の名は「国道」です。

すぐ横を国道15号が走っているからというひねりも何もない名前の駅ですが、この駅が特筆すべきは1930年の開業以来100年弱の間、ほとんど手付かず当時のままの姿を残しているというところです。

鶴見線の鶴見駅の隣という横浜チックなエリアながらだいぶなんかアレな雰囲気を漂わす魅惑の駅となっています。

看板だけはJR感(?)で溢れていますが、一歩足を踏み入れると昼なのに夜と見まごう暗さ(笑)

写真はだいぶ明るく見えてますが、実際は真っ暗です。

お店の看板も見えますが、一軒を残し全て廃業していると思われます。

昭和の割と初期で時が止まってます…

営業している「やきとり国道下」も張り紙にしばらく休みますと書いてありました。

多分人は住んでるような気がする…

無人駅なので改札はこんな感じ。

横浜なんだけど無人駅。

券売機もないしSuicaのチャージすらできないので、チャージされてなかったら乗れずに詰みなんだけど、多分そのまま乗って降りる駅で申告したらどうにかなるんだと思う。

だって無人だし。

なおトイレは男女共用だけどまず女性は使うことができません。

だって男用のやつの奥が女性も使えるトイレという、昭和ってこんなんだったっけ?という謎設計。

駅入り口の横のコンクリート壁にぼつぼつと穴が空いていますが、これは戦時中に米軍機の機銃掃射を受けた跡だそうです。

上の写真の三宝住宅社の看板の上部に空いている穴もおそらく機銃掃射の跡。

令和の時代にまだ戦争の跡が残っているなんて、何ともいえない気持ち。

戦争良くない!

No War!

と気持ちを新たにして国道駅を後にして帰路につきました。

大体80kmくらい走ったのかな。

というわけで久々の自転車ネタでした。

みなさんの街にもちょっと足を伸ばすと面白いところがあるかも知れません。

リモートワークで運動不足になりがちなので、体を動かしがてら巡ってみるのはいかがでしょうか。

それではまた~。



manimani Media

変わるデザイン。変わらないデザイン グラフィック/エディトリアル/企画・編集/Web/動画...各種メディアにトータルクリエイティブを展開するデザイン会社の日常。

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