畦地梅太郎の版画

山男が見ている



我が家にはいつも山男



こんにちは。

デザイナーのすぅえけです。


我が家には小さい頃より何枚もの絵が飾られていました。



うちは学校の体操服も近所の人にお下がりをもらって着ていたような

お金があるとは言えない家だったんですが、

父が近所ではちょっとした変わり者として知られており

(爆笑エピドードがたくさんあります笑)、

その変な父が家にお金がないのに買ってしまっていたのが

畦地梅太郎(あぜち うめたろう)の版画でした。



畦地梅太郎は愛媛出身の版画家で、山や山男をテーマに作品を作り続けた人です。

雑誌「岳人」の表紙で見たことのある方もいると思います。


父は画商が手に入れるたびに買ってしまうので、

父を知る人たちが「金がないのに買っている。もうアイツには売らないでくれ」と

画商に頼んだほどでした。

そんなわけで小さいころから貧乏な我が家に飾られていた畦地梅太郎の版画。

保存していた版画もいろいろあり、数年前に7枚ほどが何かの拍子に愛媛から東京の我が家にやってきました。



里山暮らしを通して気づく山男の生き方


我が家にやってきたからといって感慨深い……というようなことは全くなく、

実家では「あるな。」としか認識していなかったし、なんかかわいいな、と思っていたくらいでした。


でもそこから里山暮らしが始まり、実家の愛猫や「めえこ」という名をつけて溺愛していたカブトムシが死に、

人間とは違う、より自然なものの生き様を見るうちに

どういうわけか畦地梅太郎の版画に励まされ教えられ、力をもらうようになっていくのでした。



まあこれは絵の知識なんて皆無なわたしの妄想劇場なんですが、

例えばうちの猫もカブトムシも目の前で起きていることを受け入れながら

決してされるがままではなく、

あくまでも生きる方向に向かってまっすぐ生きているという姿がありました。

目の前で起きていることをひとつひとつちゃんと感じとりながら、

どっしり自分の「生きる」という信念の軸で生きているような、、

そんな強さがあると思いました。



畦地梅太郎の版画の山男たちからも、

その表情から虫や動物や自然に近いような生き方を感じるのです。

なんというか、ボクトツというか。

絵を見ていると山男が毎日どう暮らしているか、目の前にはっきりと見えてくるようなのです。

自然とともに暮らして、まわりの全てを受け入れながらも自分の軸をぶらさず

まっすぐ生きているような、そういう彼の歩き方やそのときの表情まで…。



山男は多分全てにおいて自分とは正反対の存在なので、だからその姿は憧れでもあります。

何かあると畦地梅太郎の版画をふと見て「山男。見ててくれよ」という気分になるのでした!




さてわたしは小さいころから畦地梅太郎の山男をさんざん見てきたというのに、

それまでは何十年と感じなかったことでしたが、物事にはきっとタイミングというものがあったのでしょう。


日々右往左往するわたしを見て、山男は何を思っているのやら。


manimani Media

変わるデザイン。変わらないデザイン グラフィック/エディトリアル/企画・編集/Web/動画...各種メディアにトータルクリエイティブを展開するデザイン会社の日常。

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